Universe State

しかし「良心」が本当の自分の正体ならば「邪心」と決別できるはずです。

さあいよいよ最後の審判の到来です。

「良心(「起源意識」)」なのか「邪心(「自我」)」なのか…、
世界は大きく揺れ、二つに割れその後に答えが出ます。(山羊か羊か?)

この審判は「起源意識」自身の審判です。

ですから審判を下すのは、総ての「起源意識」の分身である一人一人です。
だからこそ「起源意識」である総ての人々に問う必要があるのです。(自分の頭は自分で審判させられる構造)

常識的に考えれば富裕層の人々が創り替えに賛同するとは到底思えませんが、それは問題ではありません。
林檎の木(地球)が朽ちれば富裕層も、誰もが困り苦しむに違いないからです。

また「自我」の性質上、限りない欲望の追求がエスカレートすることで貧富の差は益々拡大し、富裕層は必ず襲われるか、または、より多くの富を求め、お互いが潰し合いやがて疲れ果てることになるからです。(独り勝ちのままでは許されないのが「自我社会」)
本当に造り替えを大勢の人が選択するのならば、早急に新しい林檎箱造りに着手する必要があります。しかし造り替えを大勢の人々が選択せず、たとえ林檎の木が腐っても現状維持を望むのならば、それは地球環境破壊や核兵器の所有や戦闘行為を容認し、犯罪の増加を黙認することになり、「自我」の言い訳や考え方に甘んじる事を意味します。(善を善と出来ない)

その場合には幾ら犯罪を起こそうが、戦争になろうが、起こした人のみに罪は無く、林檎が腐る林檎箱(そうせざるを得ない社会環境=「自我社会」)を放置した人々総ての責任になります。

従って「明るい未来」や「クリーン」や「エコロジー」など、
詭弁や理想論をいくら語ろうとも、実際に地球国を創り理想社会へ作り替える行動を起こさない限り、地球環境保護活動や平和運動でいくら理想を訴えようとも、「自我」に利用され、まったく無意味な活動展開になってしまいます。

現状に甘んじ現状維持を望む人の数が多ければ所詮大勢(多くの意識の融合)にはかなうはずも無く、いずれは大勢のわがままな林檎達と共に林檎の木を腐敗させ朽ちて行かなければなりません。
残念ながら総ての人が「起源意識」であるため、多くの意識が意図する方向へ世の中はシフトしてしまうからです。

そうなれば究極の自我社会で勝ち残る方法の検討が真剣に必要となり、
国家の保安や防衛または環境悪化に備えてシェルターの準備などの強化がより重要になります。

相手は「自我」なのですからみくびってはいけません。

当然、各個人も自己防衛に真剣に取り組まなければなりません。
残された時間内で酒池肉林を存分に満悦する方法を講じなくてはなりません。(自分勝手な自由主義の横行や自分達だけの安全確保)


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