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Ⅺ.「自己(林檎)」+「我己(林檎に付く害虫)」=「自我(虫食いの林檎)」(害虫の駆除機能と防虫効果を持つ林檎箱を創る)
昔の日本では「警察官や医者や先生である前に人であれ」とよく言われたものですが、ここで云う「人」というのは「起源意識」の「別名」であると考えられます。

しかしながらわたしたちは皆、崇高な存在である「起源意識」自らが分かれた一人ひとりであるという自覚を忘れ何故、崩壊する社会を創り現状に甘んじ、次々と問題ばかりを起こし、それを解決できないのかという謎があります。

その謎を解く鍵は「起源意識」が「自我」へと成長(変身)することにあります。

初めに「起源意識(コア)」は人体に入り「人体(物質、ヒューマン・ボディ)」の成長と、「自己(魂、ア・パートオブコア)」の成長の二つの成長をします。

その後「自己(ア・パートオブコア)」は、社会的地位名誉、動産不動産、資産など、有形無形を個人所有するという慣習によって、損得やお金など利害関係を中心に考えて働く「我己(セルフ)」を形成します。(「起源意識」は「自己(天使)」と「我己(悪魔)」の表裏で一体の二面性を持たされることになる)

例えば自分の車などが傷つけられると、あたかも自分が傷つけられたかのように怒ります。当然、車(物・有形)は自分ではなく、単なる物であるにもかかわらず、自分と同等もしくはそれ以上の価値観を見出すことによって、物に「自己」を投影することで生まれる、もう一人の自分の存在(分身)ともいえる「我己」が生み出されるのです。(「我己」=「自我」形成の必須材料)

この原理に基づき、車「我己」が傷つけられると怒るという現象が起きていると考えられるのです。
また物だけに関らず社長や先生など名誉「我己」や社会的地位「我己」などを得た場合には、「自己」は社長(役職・無形)になりきり、
社長や先生としてのプライド(我己)が傷付けられると激怒します。

このようにして生まれた「我己」と「自己」の二つが、
頭の中で融合することで「自我(エゴ)」となります。

そして今では皆が「自我(天使であり悪魔のような存在)」となり、
「起源意識(神聖な存在)」であることなどすっかり忘れてしまっています。

「自我」が一旦形成されると、「自我社会」と呼ばれる「自我」を中心とした思考や判断など、利害関係で成り立つ構造社会を作ります。
つまり「起源意識」が「自我」となり「林檎が腐る林檎箱」を築き上げたのです。
これが「自己」に善悪の判断が付いても、誤った判断を下ださざるを得ない社会となった原因なのです。(個人「自我」中心主義)

こうしてわたしたちは不幸にして、元々争うことや奪い合うために生きている訳ではないにもかかわらず、未来永劫に渡って自然環境破壊を続け、奪い合い、争わざるを得ない社会構造の中で生きてゆかねばならなくなったのです。(自我社会という構造欠陥を生んだ)

こうして生まれた構造欠陥に疑問を持ちながらも国は、
政治や経済、法律や教育、宗教や情報などを是正することも無く、
今日に及んでいるということです。

わたしたちは現在、「自己」と「我己」の二つが合わさった状態の「自我」となっています。

ですから誰もが「田中○○」や「鈴木○○」であると思い込み、
「田中○○」や「鈴木○○」さんが、家や車を持つことで「自我」となっています。
(「弁顕密二経論」の中に、総ての人は「仏(起源意識の別名)」であるにもかかわらず、それに気付いていないと記載されていることからも察しが付くのでは・・・)

今日までの慣習で「自我」として学習し、「起源意識」であることを覚えても何の意味もなしません。
知識の一つとして覚える事と、悟り、即ち真実を素直に受け止め覚醒し、生き方をかえることではまったく性質を異とします。

自分自身が臨死体験や人体離脱を体験するわけではないので、
どうしても覚えようとしてしまうのですが、要は人体と「自己」の分離が出来、
人体が乗り物であることを納得し、自分の本当の正体(魂)に目覚めているかが鍵に成ります。
ですから「自我」を「起源意識」だとして学習させたら大変な事になります。

「自我」が一旦形成されると、「自我」を中心とした例えば、金持ちであること、有名であること、身分が高いこと、人と違いがあること、権力があることなどに物事の判断や考え方の基準がシフトすることは前述の通りです。

よって傲慢になりがちで自らが解決できない状況や問題、
矛盾や謎などを次々と自らが作り、自他を分け差別し、人との関わりが途絶え、
いずれ自滅するしかなくなるにもかかわらず、新しいことに興味を持ち日々の快楽を求め、限りない欲望に溺れ、争いを起こし、自らを偽り、自己矛盾に陥るようになります。

またこれに気付き「自己(自分)」を変えようと努力しても、
社会自体が「自我」であり続けなければならない環境になっているため、
良心を持ち、正義を知り、道徳を知り、常識をわきまえながらも、
悪に身を投じるようにならざるを得ません。

これが生まれてから一度も嘘偽りや騙すことをした事が無い人が殆どいない世界になっている理由です。(「自己」と「自我」は表裏で一体)

従ってこの状態(寝ぼけ)を正常化するには、
どうしても「自我」の解決(目覚め)が必要になります。

「自我」の解決には、根源的な材料となる「我己」を排除しなくてはなりません。
これが「共用(「我己」という毒素の解毒:デトックス)」を基盤とする社会構造へ、
たとえどのような理由があろうとも創り替えなくてはならない根源的な論拠(原理)になります。

人の精神性(魂・スピリット)が替わらない以上、理想社会の実現は達成できません。
故に「我己」排除機能を根本に組み込んだ政治・経済・法律・教育・お金や税金などが整備された国を創り、生活様式を変え、魂を立て替えない限り、わたしたちの精神(魂)は元(「起源意識」)には戻れません。

具体的には、林檎を主体とした林檎にとっての快適な空間を作らなくてはならないにもかかわらず、「自我」が主体の社会になっているということは、林檎に付いた害虫にとっての快適な空間作りに励んでいることになるのです。
ですから害虫が成長して大きくなり強くなれば林檎は食い尽くされるばかりか、
林檎が成る木(地球)までもが食い荒らされ二度と林檎が実ることはなくなるということです。

よって人類が有史以来、一度も成しえていない「自我」形成を抑止する社会構造をシステムとして作り、元(はじめ)より備わる天性を発揮できる社会を作り、「起源意識」として生きられるようにしなくてはならないということです。

「自我」の意義は、「自我」を主体とすることで競い合い、
総ての人が幸せになる為の早急な高度文明の発展を促し、
高度な物質文明を獲得するための手段でした。

しかし元は「自我」ではないので、やがては
「自我」のままでは生きていられなくなり自滅(滅亡)へと向かうのです。

「我」とは手に戈ほこ(矛)を持った状態を象形的に文字で表意し、
争いの象徴として後世に「我」の始末の必要性を伝えていたのかもしれません。

また廃墟と化したアテネのパルテノン神殿には、
「汝自身を知れ」と、
同様に原爆で廃墟と化した広島の原爆ドームの対岸に設けられた平和の鐘には、
「自己を知れ」と記され、
まさに「自分が誰?」なのかを解き、
その答えに基づく社会を創らない限り、今度は地球が廃墟になることを案じた「起源意識」からのメッセージとは考えられないでしょうか。

従ってこれらのメッセージに気付かず
「自我社会(「林檎が腐る」林檎箱)」を放置することは、「林檎が腐る」林檎箱の中に次々と新しい林檎(子供たち)が放り込まれていくことになり、
総ての林檎はやがて腐敗し、林檎箱を壊し、いずれは林檎の木までも腐敗させ滅亡してしまいます。

古来日本では全体の協調性と調和を重視し「出る釘(杭)は打たれる」などといわれ、一人だけが突出することを避けてきた時代背景がありました。
言うならば文明の発展に伴う「自我」の発達を抑えてきたわけです。(協調社会)

しかし、今日では「自我」の趣くままに生き、弱肉強食の社会が当たり前となりました。
言わば「自我」中心に生きるようになったわけです。

当然、これ以上「自我」のままでいれば、戦争の勃発や、手の付けようのない環境破壊や、犯罪を増加させる貧富の差の拡大などにより、現状のままでは物質的にも精神的にも破滅することが誰にでも容易に理解できるようになりました。

今日までわたしたちは限りない物欲を煽られ、
仕事に勤しむあまり「自分は誰?」などということを問う間も無いままに、
「自我」を中心として生きてきました。

今後は社会構造を替え、「起源意識」を中心に据えて、
道(書道・柔道・剣道・空手など)による心身の鍛錬、
スポーツや創造性(クリエイション)や
芸術性(サウンドやアート)などにエネルギーを傾注して体力を養い、
人が喜ぶことや、役に立つことなど、慶ばせ合うことで「起源意識」としての品格(色霊を使い、言霊を語り、数霊で遊ぶ)を養い、魂を磨き元々の崇高な存在として相応しい生活を送りたいものです。


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